プログラム「往復書簡 /Correspondance」のVol.2として、アーティストのアリー・ツボタさんをゲストとしてお迎えしてトークイベントを開催しました。広島在住のアーティスト吉田真也が聞き手となり、原民喜を題材とした自身の制作や日本でのリサーチについてお伺いしました。
日付:11/18(土)
時間:11:00-13:00
場所:「雁と鶴」(広島市中区鶴見町9-11 第2三沢コーポ 104号室)
参加者:アリー・ツボタ(オンラインビデオでの参加)、吉田真也(聞き手)、ケン安有実(通訳)、他
トーク映像はこちらから
→アリー・ツボタ「原民喜との対話」記録映像
トーク後のディスカッション
S.Y:アリーさん、ありがとうございました。今回のプログラムである「往復書簡/Correspondance」はどのようにして死者や他者と出会い直すか、もう少し具体的に言いますと、死者や他者を演じ、訳すことの可能性(またはその不可能性)というのが重要なテーマとしてあります。
例えば、今僕は広島のダンサーと共に、原爆パイロットと呼ばれたクロード・イーザリーの手紙を読み、加害者と目される存在を広い意味でどう演じることができるかということを考えています。そしてアリーさんの実践も僕にはそのような他者を演じる行為にも思えます。まさに一人二役で民喜と自分の往復書簡を書いている。半分は民喜という異なる存在もあるんだけど、もう半分は確かに自分というものも存在している。その二つが重なったり、共存している部分に非常に可能性を感じています。
A.T : 先ほどのプレゼンでも、言語というものは媒介する役割を果たすということをお話ししたのですが、今の真也さんのお話を受けて、死者を演じるという時に、広い意味で言うならば、身体や自分の心、それら全てが媒介になるのではないかと思いました。
自分の身体を媒介にして、正確に死者を演じたり再現することは到底不可能です。それでもそこに豊かな可能性を見出すことができるとすれば、それは死者を完全に再現することは不可能であると、まず受け入れるところから始まると思っています。そしてその不可能性を受け入れたうえで何か表現することを考える、そこから可能性が生まれるのではないでしょうか。
そのような絶対的な不可能性から生まれる可能性というものがやはりあると思います。私たちが歴史的なものを再解釈していくときも、それは歴史的な事象を形を変えて、生き生きと現代に再現するということにもなりますし、過去を忘れないという表明にもなります。再現や再解釈しようと考えたり、試みたりすることに意味があると感じます。
私たち現代社会に生きる人たちは、すぐに正反対のものを対立させようとするし、二者対立をつくろうとします。例えば広島の犠牲者と加害者だったり、過去の人と現在の人だったりと。でも自分の中に他者が共存しているという状態は、そういった二者対立の概念を曖昧にし、超越できるという美しさをもっています。
普段誰かと会話する時も、自分の内の他者や、他者の内に自分を見て話していたりしますよね。そのような二者対立の共存や融合という可能性も(このプロジェクトには)あるのではないかと思います。
S.Y:原民喜の詩や小説は、繊細な文体の中に強さをもってカタカナや擬音語などが非常に効果的に使われている時があります。そういった日本語の感覚はやはり日本人だから理解できる部分もあるように思います。そういった言語の壁を(制作するにあたって)どう乗り越えていったのか、またはその不可能性をどう受け入れていったのかお聞かせください。
A.T : 翻訳の不可能性というのは、私が非常に苦労した部分でもありますが、同時に憧憬を抱くところでもあります。今お話し頂いた日本語のオノマトペ(擬音語や擬態語)については英語を母国語にもつ私が絶対に理解できない部分だと思います。
言語の翻訳について2点お話ししたいと思います。1点目は別の言語に対する謙遜さについてです。私のフィクション作品は日本語に翻訳されています。私は日本語に翻訳された自分の作品を読むことはできませんが、そこに一種の美しさと表現の可能性を感じます。そのように言語が別の言語に翻訳される時、私はできるだけ謙虚であろうとします。そして私はアーティストとして、自分が中心にいなければならないという考えを捨てる必要があります。私という存在は本当は必要ありません。私は自分の存在を作品の中心から外し、”不必要な共同者(コラボレーター)”として作品に関わるよう心掛けていて、そこに美しさや表現の可能性があるのだと思います。
2つ目は、翻訳というものが完全で、予測ができ、全てが可能になるという考えを手放す必要があるということです。現代社会に生きる私たちは全員異なる体をもち、異なる国籍、異なる歴史、異なる経験をもっています。例えば何か1つの答えに辿り着こうとした時、方法は1つではなく、色々な方向からアプローチが考えられます。ですから私たちは、決まった予想やこの翻訳が1番であるといったような固定概念を捨てる必要があるのだと思います。
(参加者からの質問)
参加者A:広島市立中央図書館で撮影された原民喜の原稿や手紙は、横にしたり、折られて文字が読めないような撮り方をされてますが、それは意図したものですか?
A.T : はい、それは意図的に撮影しています。逆にこのような写真を見てどのように感じられましたか?
参加者A:とても不思議に思いました。自分の発想からは出てこないものです。やはり手紙の文字自体に目がいくので、それが横になっているのにびっくりしました。外国人の感覚なのかと思ったり、、とても驚きました。
参加者B:日本からアメリカに戻った後でも民喜との対話は続けていますか?
A.T : 答えはいいえともはいとも言えます。いいえの部分に関しては、去年の日本で作られたこの往復書簡の作品は、日本という時間や場所の中に留めておくのが1番良いと思いました。アメリカに帰ってからどうこうするのではなく、原民喜や彼に関係する人々、場所との対話は、そこで始まり完結するものとして日本という入れ物の中に入れておこうと思います。
でも、はいの部分としては、民喜のことはふとした時に思いますし、彼とのコミュニケーションの余地は日々の中で残されている感覚があります。例えば先日、原民喜の誕生日だったのですが、そのことを知らずにその日に民喜のことを考えていたりだとか、あとは私が民喜と偶然出会ったように、夢や感覚の中で彼のことはいつでも思い続けています。
S.Y:最後にもう1点質問させてください。先ほどのプレゼンテーションで、日本や広島を訪れた実感として、過去の出来事や痕跡が見えにくくなっていると感じたと仰っていましたが、それは広島に住んでいる私たちも切実に感じていることです。今の広島は死者や過去の出来事に想像が及びにくい都市でもあると思います。例えば、哲学者ギュンター・アンダースは広島を訪れた実感として、”復興とは破壊の破壊である”という言葉を残していたり、思想家の矢部史郎は広島のことを “かさぶたの都市”と呼んでいます。かさぶたの下には治癒しきれない多くの傷(死者が眠っている)があるが、普段はその下は見えないという意味があると思います。
そのような都市の現状に対して、原民喜の作品は私たちが死者に接続しうる、そんな力を持っていると思います。今回の展覧会で今一度、原民喜を掘り起こす現代的な意義についてどのようにお考えですか?
A.T:過去の出来事が消されたり、見えにくくなるというのは、色々なレベルで起こっていると思います。広島市は過去80年間において多くの発展を遂げてきた都市ですよね。人ひとりの個人的な感覚のレベルで見えにくくなっているということがあると思いますが、もう1つは政治的なレベルで見えにくくなっているという事があるのではないでしょうか。
私はアメリカに住んでいるのでその観点からお話ししますと、アメリカは、歴史は過去のものであると強く主張している国でもあります。これは政治的な方策の一種でもありますが、歴史は現在のものではなく過去のものであると主張することで、歴史的な暴力が既に解決されたものということを強調したいんですね。ですが一方で見過ごせないのは、歴史的な暴力は形を変えて現代に続いているということです。
私の原民喜の作品も含め、原爆の問題を様々な方向から検証しようとするこのプロジェクトはやはり大きな意味を持っていると思います。なぜなら、歴史的な暴力というのは続いているということを、プロジェクトを通して、物質的に表すことにもなると思うからです。やはり歴史的に行われてきた暴力や権威の圧力というのは、私たちが生きている中で、確実に経験しているものです。そして原爆の問題も過去のものではなく現代に続いているものと言えます。今回のプロジェクトは、過去は過去であるという考えに対する抵抗を示すと共に、歴史的暴力は今なお続いているということを表すという意味でも現代的に重要な意味があると感じます。
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