「デルタは夜明けを夢想する」 特設サイト

山と海のあいだ

「デルタは夜明けを夢想する」は、アーティストの吉田真也がディレクションを担当し、現代社会を生きる私たちが ー 如何にして夜明けを見ることができるのか ー という問いのもと実施したプロジェクトである。中西あい、中田絢子、善岡宏和、高山太一ら4人のパフォーマーと、詩人の中川晶一朗が参加し、レクチャー、ワークショップ、スタジオ撮影を共同で行い、その過程を映像記録した。

太田川の地勢がつくり出すデルタの水流の時空間を拠り所とすることで、象徴としての広島が敷く見えざる制度、思想や身振りを規定する平和都市の空間から抜け出し、現実社会の中でのわたしたち一人一人のあり方/ 夜明けを模索した。プロジェクトの最終成果として映像作品「 Obscure|オブスキュア 」を制作した。クロマキー技術で撮影されたパフォーマーの身体は、現実の風景と一体となることで、影なるもう一人の自己として川底から幻出する。

『 Obscure|オブスキュア 』 
シングルチャンネルビデオ|19min|サウンド|2025年制作

監督 吉田真也
撮影 吉田真也、伊東良隆
出演 中西あい、中田絢子、善岡宏和、高山太一
詩文 中川晶一朗
協力 リフレクティング・ヒロシマ、LIFE MARKET FILM

作品ステイトメント

− 影としてのわたしは、瞬きの風景を覚えている −
遥か昔からその場所に横たわるように原初の姿を留めながらも、弛み無く動き続けるデルタの遍在と流動。神話世界に根差した源流から、幾多にも分岐しながら山谷や下流の都市のあいだを流れ、太田川の流体はやがて瀬戸内海へと注ぎ込まれる。わたしという支流の意識の底には、集合的記憶としてのデルタの水が流れ込んでいる。

落日から夜明けまでの時間。薄ぼんやりとした川の水面に、黒い幻影が浮かびあがっては消えていく。役者が演じるゆっくりと動く影は、自己の内底で抑圧された意識そのものであり、 “ 生きられなかった反面 ” であるもう一人の自分として幻出する。それぞれの姿に対応して – I. 水鏡 Ⅱ. 停留 Ⅲ. 分流 Ⅳ. 逆流 – といった四つの章が与えられており、川の記憶や時間を想起させ、自己内省へと導くテキストが一編の詩集を編むように添えられる。

各章の間には、川辺の記憶の痕跡を手回しのフィルムカメラで撮影した映像が挿入される。中国山地でかつて盛んに行われたタタラ製鉄、今も市内に電力を供給する安野発電所で起こった中国人強制労働。可部で行われていた鮎漁と生き物への敬意を示す魚碑や太田川漁業協同組合跡地。水面の反射、草土、木漏れ日。それらの風景は瞬く光の明滅とともに出現し、作家の歩行を伴った親密な距離感によって、自己の内部と外界の結びつきが示され、過去への執着や忘却への抵抗が静かに表明される。

広島という土地、ここで生きるわたしたち自身を暗影の視座から見つめてみたいと考えた。それが戦後以降、強固な共同体を築き、思想や身振りを規定する平和都市の空間からすり抜け、現代社会におけるわたしたち一人一人の在り方を問い直す術に思えたからである。人影が浮かびあがる光景は、現実の風景と対峙しているようであり、世界を裏側から覗いているかのようでもある。またその影は、まだ見ぬ自己を再発見するための写し鏡であり、他者や死者へと通じる通路である。虚構と現実の狭間をイメージは彷徨いながら、最後には、影なるものが実体であり、現在を生きる一人の人間であることが示唆される。

Ⅰ. レクチャー〈夜明けを想像する〉
広島の戦後以降の時間を考える人物として、“ 殿敷侃 ”に着目した。彼が掲げた“ 逆流の芸術思想 ”と絶筆である“ 僕は夜明けを信んじた ”という二つの言葉から連想される物事について想いを巡らし、自分と他者の繋がりについて考えた。

Ⅱ. ワークショップ〈わたしのバイオグラフィー〉
参加者への7つの質問をし、用意された紙に記入してもらい個人の年表を作ってもらった。制作したものを元に、参加者間でそれぞれの為人や考えを知り、広島と個人の関係について意見交換を行った。

Ⅲ. スタジオ撮影〈デルタの幻影〉
クロマキー技術を用いたブルーバック撮影を行った。スローモーションで撮影された出演者の身体は、現実の風景と一体となり、もう一人の影なる自己として現れる。

「デルタは夜明けを夢想する」ドキュメント記録 2025/4/6,4/13

撮影/録音 伊東良隆
出演 中西あい、中田絢子、善岡宏和、高山太一、吉田真也
協力 リフレクティング・ヒロシマ、LIFE MARKET FILM

Ⅳ. 詩の制作〈水鏡、停留、分流、逆流〉
パフォーマの思考や身体性、撮影された映像を受け、詩人の中川晶一朗は 四つの章 – I. 水鏡 Ⅱ. 停留 Ⅲ. 分流 Ⅳ. 逆流 – に対応するように詩を制作した。

吉田真也(よしだ・しんや)
アーティスト。1994年青森県生まれ、広島市在住。文化的、歴史的な変遷を経て形成されていく土地固有の営みに着目し、現実とフィクションの境界を横断しつつ、個人と土地との間で谺する複数の記憶を呼び覚ますような作品を制作する。近年の展覧会に、個展「死を包むもの」(青森公立大学 国際芸術センター青森)、「タイムとマシンの平和利用」(YUGEN Gallery)、「Made in 青森 −自然と歴史の交差点」(OMOTESANDO CROSSING PARK)などがある。リフレクティング・ヒロシマを主催。

高山太一(たかやま・たいち)
日曜舞踊家。広島市生まれ、同市在住。16歳より身体表現を始め、これまでに国内外での身体パフォーマンス活動を行う。現在は広島市内の障害福祉事業所に勤務する傍ら、認識の境界を浮き彫りにする表現活動を細々と続ける。第72回サレルノ国際映画祭短編映画部門最優秀賞作品『オシラ鏡』主演。

中田絢子(なかた・あやこ)
ダンサー、中田千湖バレエシアター・アシスタント。広島で生まれ育ち、幼少期からクラシックバレエを軸としたモダンバレエを習う。ヨーロッパ留学にてより深くダンスに触れ、舞台経験を重ねて2015年に帰国。帰国後も国内外で活躍する振付家の作品に出演、創作活動を行う。身体の関節・筋肉の動きや繋がり、音と空間と身体が一体となる表現を意識し踊っている。

中西あい(なかにし・あい)
表現者/振付家。1986年大阪府生まれ名古屋育ち広島在住。幼少期からクラシックバレエを学び、その後コンテンポラリーダンスに出会い、身体を通した作品創作を続ける。作品の関心は、体験から気づく物事の関係性と気づかないものの影響。ダンスをもっと身近に!をテーマに「踊り子の休日」を企画。コンテンポラリーダンスだけにとどまらずアートな時間を届けている。

善岡宏和(よしおか・ひろかず)
ダンサー。1988年広島県生まれ広島市在住。幼少の頃よりジャズダンスを始め、2015年アステールプラザにて開催された「TRY A DANCE」の 出演をきっかけに平原慎太郎氏に師事。コンテンポラリーダンスへ転身。以後、湯浅永麻、近藤良平、平原慎太郎主催の「grease03 」などの作品に出演。自身の作品はアステールプラザで行われた企画「ADDANCE」にて「重+力」や「繊維」などを発表し県内外で活動。近年では両親が指導しているダンス教室「JJD」にてダンス講師として活動している。

中川晶一朗(なかがわ・しょういちろう)
1984 年、広島市生まれ・在住。2004 年より投稿サイト「現代詩フォーラム」等で自由詩と出会い、投稿を開始。以降、言葉による表現と並行して油彩・水彩による視覚作品も制作。2020 年以降はバンド「月曜日のユカ」への詩の提供を通じ、音楽とのコラボレーションにも取り組む。2023 年、自薦詩集『回游灯』『逗留の皿』を刊行。言葉、風景、音の境界を行き来しながら、実在性を問い直す詩作を続けている。

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