リフレクティング・ヒロシマが主催し、広島市のYO-HAKUで開催された展覧会「往復書簡 / Correspondance」。他者の経験や言葉に自分を重ねることで表象することの倫理性を問いかけ、変換されることの可能性を試みた本展を、広島市現代美術館主任学芸員の松岡剛がレビューする。
展示情報
リフレクティング・ヒロシマ主催「往復書簡 / Correspondance」
会期:2024.3/7( 木 ) ‒ 3/11(月)
会場:YO-HAKU 広島県広島市中区小町 3-1 サンライズ小町 2F
参加作家:吉田真也、岩手萌子、中西あい、アリー・ツボタ
「リフレクティングヒロシマ」とは、現在広島を拠点とする映像作家、吉田真也による呼びかけから2023年に始まり、先行して行われた3回にわたるワークショップと本展覧会を経て実施されるプロジェクトであり、活動分野を異にするアーティスト、ダンサー、アートマネージャーらが相互に関わりながら、広島の地で対話を通じた表現活動を行うことを目的としているという。芸術表現を経由しながら、広島の原爆にまつわる当事者たちの体験を継承することの可能性/不可能性を、そして可能とするならば、その方法を探究する一連の試みであり、今後の継続も想定されている。
そのため、2024年3月に開催された「往復書簡Correspondance」はその中間報告的な意味合いを持つ展覧会であった。本展には、吉田真也とともに、アメリカ、マサチューセッツ州を拠点とするアーティスト、アリー・ツボタが出品しており、両者の作品が一つの空間を共有し、ともに言葉を起点とした作品を展開している。


吉田真也によるインスタレーションは、広島への原爆投下時、気象観測機に搭乗し投下指示を発した人物、クロード・イーザリーが哲学者・ギュンター・アンダースとの往復書簡の中で綴った手記を基軸に展開される。自身の体験を振り返り書かれた文書は、原爆投下に関わった当事者として記憶とその経験を経て湧き上がる後悔、その後の平和実現へと向けた決意を語る件が収められている。インスタレーションにおいて対を為す2つの画面のうちの片方で、イーザリーの手記を一人の男性英語話者が朗読し、時折、印刷されたセンテンスが彼の手によりカッターナイフで切り取られていく。そしてもう一方の画面では、2人の女性日本語話者が切り取られたセンテンスの紙片をひとつひとつ糊付けし、再構成された文章を朗読している。二つの画面の間には再構成された文書が掲げられ、また、いくつもの小さな紙片が重なり入ったガラス瓶が置かれている。瓶の中に見えるのは、手記の解体から再構成の過程で抜け落ちた「I」そして「私」という、いずれも行為の主体を表した文字である。


他方、アリー・ツボタの作品《Dead Letter Room》は、往復書簡の体裁をとった、応答し合う形式のテキスト13偏、そして壁面に配された写真によって構成されている。写真の一群は被爆直後に撮影された調査写真のアーカイブであり、そしてもう一群は今回のプロジェクトのためのアーティストによるリサーチの際に撮影された、資料を収めた写真である。書簡風のテキストには、それぞれ書き手、宛先としての「AT」と「H」が交互に割り振られている。ここでの「AT」とは、アーティスト・アリー・ツボタ、「H」とは、広島での被爆体験をもつ詩人・原民喜に対応したものだ。原は1947年、自身の被爆体験をもとにした「夏の花」を発表、その4年後、東京にて自ら命を絶っている。そのため、それぞれ2022年1月1日から11月15日の日付が振られたこれらの書簡は架空のものであることが分かる。
Hが差し出したとされる言葉も、ツボタが原民喜のアーカイブより拾い集めた言葉を再構成したものであるという。日常風景に見出す機微とともに、ロシアによるウクライナ侵攻など、私たちの現在までもが語られることばの往復は、展示順を辿るならば3月13日にはじまり、その年の暮れへと向かい、興味深いことにその先「同年」の1月1日に戻るように進み、3月13日、つまり第一信と同一日に終わる。ここでの両者のやりとりは、通常私たちが他者と言葉を交わす時のような単線的な構造を持たず、互いを意識し、それぞれの言葉に触発されつつも、対話の進行として現れず、よって時間軸も円環を為し、互いに呼応する言葉が無限に繰り返されるように感じられる。


この展示を通して、吉田、ツボタがそれぞれの方法で試み、対比させているのは、対話という形式の実験ということができる。吉田の《22 I》では、英語話者から日本語話者への受け渡しが行われている。先にも触れた、受け手にあたる2人の日本語話者は、「リフレクティング・ヒロシマ」プロジェクトに参加する、広島のダンサー・岩手萌子、中西あいであり、展覧会の一環として、2人によるパフォーマンスも開催されている。映像内で演者として出演するこれらの人物も、それぞれが実生活における属性を背負いながら、他者の経験を引き受ける。このようにして、受け渡された体験が、プロセスを経て抜け落ちた「I」そして「私」から自由になり、それぞれの立場から再編成されていく。受け渡す側の解体と引き受ける側の再構成が対をなす行為として象徴的に表されている様に、他者の体験を継承するひとつ可能性を見出すことができる。
そして、ツボタの試みが示しているのは、主体を重ね合わせること、変換することの難しさである。他者の言葉を扱うことの困難や、他者に成り代わる行為が孕む暴力性については、作者は百も承知で臨んだはずだ。たとえ要素としての言葉の引用を張り巡らせようと、単語と単語の間、文と文の間にも、その人らしさとは宿るものだし、さらには、「その人らしさ」を裏切る書き振りを置くこともまた、「その人の言葉」を構成する振る舞いだからだ。何より、一方的に特定の人物に「なる」こととは、人格を収奪する、あるいは少なく見積もっても、偽装することにさえなりかねない。それでもなお、彼女がこの困難に挑んだことの狙いを想像できるとすれば、そこには読み手へと差し向けられた期待があるのではないか。原の言葉をモチーフにハレーションを起こさせる彼女の介入がある種の触媒となり、読まれるごとに読み手の潜在的な声さえもが重ねられる響きとして記憶が再編され続けていく。そのような、観客も巻き込む多層的・多声的なモデルが提示されているのかも知れない。

アメリカ戦略爆撃調査(USSB)によって撮影されたアーカイブ写真
始まったばかりとも言えるこのプロジェクトについて、その試みがどこまで成功し、また、広島における記憶の継承に実装しうるのかを見極める段階にはないのかも知れない。しかしながら、語り手の継承やアーカイブ構築といった、現在実施されているさまざまな取り組みをどのように捉え、現状を把握するか、そうした現状認識に重要な示唆を与えてくれているように思われる。
松岡剛(広島市現代美術館・主任学芸員)
1998年より広島市現代美術館学芸員。主な企画に、「赤瀬川原平の芸術原論」(2014-15年、千葉市美術館、大分市美術館との共同企画)、「殿敷侃:逆流の生まれるところ」(2017年)、「開館30周年記念特別展『美術館の七燈』」(2019年)、「ヒスロム:現場サテライト」(休館中長期プログラム、2020-23年)など。
写真=吉田真也
コメント